皆弱い
当事者たちの、弱者ぶって、自分さえよければという自分勝手な理解を一方的に求める
まるで子どもが親にダダをこねるような
ダサい、浅ましい心情をネットで見まくって
ウンザリして、イラついて
「どうして皆プライドや意地を持とうとしないんだ。大きなものに理解や制度の変更ばかりを求めて
だいたい発達なら発達、精神なら精神で特別扱いしろとは、新しい分断を呼ぶだけだろう
自分たちが、理解してほしい相手を理解しようとし、傷ついても胸襟を開く行動こそが、本当の包摂ではないか」
と思っていた。
だが、皆、自分が思うよりずっとずっと自信が無く、自己評価が低いのだ
とふと思うと、すべてのことに納得がいった。
皆、本当に弱い(と思いきっている/自分が強者の部分があるとはほとんど思えていない、そんな余裕はほぼ無い)
のだと。
それはとりも直さず、「相対的に」自分が意地と自尊心を大事にできるだけ
「強」く見えることでもあるのだとも思う。
少なくとも精神的には。
ここからどう進めるだろう。
少なくともイラつきは鎮まってゆくとして、ますます「独り」と思う具合は強くなるかもしれない。
そして
「許す」
というのは、ここからはじまるかもしれない(そうでないかもしれないけど)
とも思ったりする。
皆「弱」い。
おそらく、自分が今まで考え想像していたよりもずっと(彼ら自身を抑圧し否定し続けて自己評価が想像以上にマイナスすぎるという意味で)