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【アート】身体障害者だけの劇団態変が、2年ぶりの東京公演 相模原事件に返答する「ニナイカライ」

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主宰の金氏のSNSより。劇団態変ではチラシを置かせてくれる場所を募集しているようだ

 11日2日(金)~4日(日)、東京の座・高円寺1にて演者全員が身体障害を持つ大阪のパフォーマンス集団「態変」が公演を行う。

 態変は「1983年に大阪を拠点に創設され、身体障害者にしか演じられない身体表現を追究するパフォーマンスグループ」(公式ページより)。
 主宰で作・演出・舞台監督である金滿里の身体障害者の障害じたいを表現力に転じ未踏の美を創り出すことができる」という着想に基づき活動する。メンバーは全員が脳性マヒや四肢欠損など、身体障害を持つ。金自身も幼少時からのポリオにより障害を持っている。
 東京での公演は16年以来2年ぶり。

 今回の演目は『ニライカナイ-命の分水嶺』で、金のブログによると「この作品は、2年前の7月26日に起こった忘れもしない事件。相模原やまゆり園19名障碍者大虐殺事件が、植松聖という凶悪犯人によって起こされてしまった、という事実に私はきっぱりと応答しようとし作ったもの」だという。

 金の言葉で「障害者は世に在ってはならない存在とされていたと思うんです。そういった実感から翻って、命への祝福ということを障害者は背負っている」という一節がある。

 また「ニナイカライ」企画書では「幼少期を施設で過ごした金は、その場に横たわる優生思想、あるいは一部の命の存在を消し去ろうとする社会システムを肌で感じ取り、施設を出てからもその危険性には警告を発し続けてきました」

「片方を肯定し、片方を消し去ろうとする。そんな窮屈で、誰にとっても逃げ出したくなるような社会とは一線を画する世界像を、沖縄の大自然が育んだ「ニライカナイ」という思想を元に探すことはできないか」と書かれている。

 今回の公演で態変は、相模原事件に代表される世間のヘイトクライムに対し、以前から抱いていた思いと今まで蓄積してきた表現を駆使し”返答”をするようだ。

 


  
 ブログ筆者は、10年以上前に新宿で一度態変のパフォーマンスを見たことがある。自分の身体の使い方とはまったく違う動きが続いてゆき、客席でモゾモゾして自分の身体を確かめたくなった。その時感じたものは「(障害者に関わらず)誰もが自分と違う」という断絶感のようなものだ。

 その時以外にも、似たものを感じたことが一度ある。ブログ筆者は何度か、脳性マヒを持つ人たちと格闘技を一緒に練習したことがある。
 
 彼らと組技のスパーリングをすると、通常の技がかけられない。彼らの身体は、末端はともかく体幹や股関節などの中心に向かうにつれ過剰に引きつけが強くなり、生半可なことでは開かないのだ。

 はじめて組んだ時に思ったのが「私の身体とこの人の身体の感覚は、明らかに違う。なんて離れてるんだろう」ということだった。
 その後、マヒではない選手の人ともスパーリングをしたが、その感覚は続いていた。(実はスパーリングというのは、どんな人とでも多かれ少なかれ感じることだが、この時はそれが強かった)

 態変の舞台で様々な音で刻むビートや、たゆたうような光に流されるように没頭して見ている時の感覚も、それに似たものだった。帰り道で、自分の歩き方がぎこちないように思ったのを覚えている。

「私たちは隔絶されていて、一人ひとり完全に違う」ということを、頭ではなく感じてしまうもの。それが態変の舞台の一つの特徴だと思った。完全に主観だが。

 ”多様性”という言葉がはやっている。「みんな違ってみんないい」と小学校でも聞かれそうな言葉だ。
 みんないい、のかは知らない。しかしみんな違うということは、孤独なことだ。態変の舞台を観ると、そんな孤独な自分の身体で何が出来るのか考えざるを得ない。

 

Performance Troupe TAIHEN

劇団態変 taihen (@imaju_taihen) | Twitter