【LGBT】炎上しても「私たちにとっての現実は、あの日ああして歩いたってことだけ」~岡田実穂&宇佐美翔子トークイベント@どん浴・前編~
9月8日(土)東京・あし湯カフェどん浴にて『病気とLGBT 地方で暮らすということ』のトークイベントが開催された。
青森で暮らす二人のレズビアン、岡田実穂・宇佐美翔子が出演した。
岡田は性暴力サバイバ―のアクティビスト。性暴力被害者支援団体レイプクライシス・ネットワーク(RC-NET)の代表として当事者支援や、研修・講演活動等で活動している。
宇佐美は岡田のパートナーで、同じくRC-NETで活動。20年以上東京に住んでいたが、2014年から故郷の青森市に岡田とともにUターン。青森駅前の商店街の店で、様々な当事者が集うコミュニティカフェバー「Osora ni Niji wo Kake Mashita」(そらにじ青森)を運営している(現在休店中)。
また今年4月、直腸がんが発見され治療中の身だ。
二人は2014年から、セクシュアルマイノリティ当事者や賛同者等によるパレード『青森レインボーパレード』を青森駅前で実地。初年度は二人ともう一人だけの3人だったが、15年には24人、16年には45人、17年には約100人、そして今年は180名近くに増加した。
そんな二人の現在のキーワードが「病気」「地方で暮らすこと」だ。トークの一部を、許可を得て公開する。
「パレード主催を『やります』ってハードルがすごく高くなってしまった」
岡田
「そらにじ青森」は、セクマイもそうでない人も来られる。生きにくいなと思う人が、昼間来れる場所があればいいなと思って。
青森には5年前から来て、翔子ちゃんの故郷ではあるんだけど、縁が無い。でも5年たったら日常に組み込まれていくんだよね。
場所があるっていうのがどれだけ大事なことなのかと。最初は色々言う人もいるけど、5年目になると「当たり前にある場所」って思われてきて。
場所があることによって、みんなの当たり前が変わっていくんだよね。ネット上で色々(LGBTな話題等が)書かれていても、目の前じゃないと信じられないってことはある。
でもこの場所が固定なものとして理解された所で、一回ストップしようと。今は自分たちの生活もままならんので…。
元々場所の半分は翔子ちゃんのお母さんのものなので(置いてはおける)。誰かに貸せるけど、残念ながらやる人がいない。パレードも来年からどうしよう。
宇佐美
”やりたい気持ちがある”と”やります”って集まってくるのは違う。”やります”って第一声を上げるハードルがすごく高い。
「やります」って言ってしまえば人は集まってくるけど、言うのはすごく怖い。失敗できない。
パレードにしても、各地でやる人は増えていったけど「一回目は思うようにいかなかったな」ってパレードでも全然いいと思う。私たちも3人からはじめたし。メディアに取り上げてもらうわけでもなく。ツイッターで「3人でやりました」「パレード1回目です」って言ったもん勝ち。
東京のパレードと同じ日に、同じ時代を同じ課題を背負ったみんなが代々木公園に集まる。だったら私たちは青森で歩こうって始めたから。
軽い気持ちで始めたわけではないけど、盛大な始まりでは全然なかった
たくさん色んな所ではじまって「ああでないといけないのかな」とみんな思ってて。
でも出来る範囲のスタートでも全然いいし、やったけど「なんか違かった」かもしれん。したらもっと違うやり方にして全然いい。みんな失敗したくないんだな。
「最初からパーッとやりたい」「(私たちが)やってきた以上にやらなきゃいけない」…。すると声が上げにくくなってく。うまくいかなかったら助けてほしいって言えるコミュニティになるのが大事だし、「やってみよう」ってふわってはじまるの大事。
”正しいLGBT像””パレードは成功しなくちゃいけない”
岡田
パレードをやる時助けを求められないっていうけど、LGBT業界は、いつからこんなに個人がLGBTを背負わなきゃいけなくなったの。
もちろん政治的にとかは必要だけど。「正しいLGBT像」とか「パレードは成功しなくちゃいけない」…。パレードの成功って何?自分が言いたいこと言えたらいいんじゃないの。
何かしたいからパレードをするわけ、それこそプライドをかけて。その時に何かメッセージがあって、言いたいことを言えたらいいんだと思う。それはLGBTだけじゃなくてどんな属性の人たちだって。
賛同されないこともあるかもしれないし、そのことに賛同する人はいるかもしれない。「正しいLGBT」にならなくていい。
青森のパレードが他のところと違うのは、言いたいことを言うために歩くんだってこととか、自分がここにいることを明確に町の人に知ってもらう。
世界にとかじゃなく、結果的に誰が知ってもらうことになるとしても、この道を歩くということの意味を直接ぶつけるパレードだと思う。
だからそれが成功したかはわからなくて、人数の問題とかでも全然ない。
「何かはじめる時は、叩かれる前提ではじめなきゃいけないのか」
岡田
だけどきびしいじゃない世の中。今回のパレードでも参加してた人の服装が気に入らない人たちがいて。一人の参加者がフルボッコになったり。「ただの女装じゃないか」って。
お客さん
新聞に載った時にトランス当事者の人が怒ってたんですよね、記事の写真に。
岡田
いわゆる”パス(トランスした性に見えている)したい系”じゃなくて、その姿がいかにも”女装みたい”ということでしょ。
宇佐美
それは社会的なジャッジというかその人が思ったこと。でも本人がどういう思いで女装してたかまったくわからないのに、第三者がどう見えるかってことで”恥”だとか”嫌”だとかいうことをバーッと配信するわけ。
でも、どういうつもりかもわからないのに服装とか見た目でジャッジされることが、なんでこのパレードで起こらなくちゃいけないの。
岡田
「LGBTを利用してる」と言われたりとか、それこそ「死ね」とか。「そんなので出るなんで青森の恥」だとか。青森の恥っていうのはもっと色んなことががあるんじゃないか(笑)
個人攻撃として「青森から消えろ」とか「死んでわびろ」とか書かれたりして。そんなことを言われるようなLGBT業界であれば、パレードやるのは怖いことだと思う。
私たちは叩かれ慣れたとこあるから。でも表に出てカミングアウトするとか、自分が何かはじめようと思うのは、叩かれる前提でやらなきゃいけないのか。
いくらでも言われるじゃない。それをスルーしますけど、スルーできない人たくさんいるし。
「カミングアウト怖いことでしかない」って思ったら、やるって言わないだろうな青森の子たち。田舎に住んでて、いきなり都会の当たり前みたいに青森のパレードも脚光あびて。
宇佐美
「可視化する」って時に、”社会が思うLGBTの姿”みたいなものでない人が入っていたら批判される。ネット上でも感じたらパレードやりたいですって言えなくなるよね。
岡田
私たちが欲しいのは、その立ち上がった人を支える人たちが集まってほしいと思うけど…。LGBT業界今、誰を叩くかばっかりだと思うことはある。
宇佐美
場があれば共有はできる。「あれは腹がたった」って、一緒に言える人がいるっていうのが大事。あの場所を一緒に歩いた経験は絶対変わらないし。
「私たちはあのパレードで、楽しかったり誇らしかったりすごい良かったよね」と共有してる。その上でネット上で何か言われたってことがあったとしても、それは現実ではない。私たちにとって事実っていうのは、あの日ああして歩いたってことしかないから。
~後編「地方でLGBTが病気になるということ」(仮)に続きます~※一週間後くらい予定
取材・構成・撮影:遠藤一 (@endohajime) | Twitter
■岡田実穂(おかだみほ)と青森に希望をつくる会 (@okadamihope) | Twitter ※岡田さんは今年10月末に投開票される青森市議選に立候補予定
■宇佐美翔子 shoko_usami (@shokodon2011) | Twitter
■レイプクライシス・ネットワーク (@RCNET_official) | Twitter
■青森レインボーパレード20180624 (@RainbowAomori) | Twitter
■そらにじ青森(現在休業中) (@soranijiAOMORI) | Twitter
■足湯カフェどん浴 (@donyoku2018) | Twitter
■カテゴライズから自由になって人が繋がれる場所 誰もが入りやすい「足湯カフェ」を新宿二丁目に | GREEN FUNDING by T-SITE ※足湯カフェのクラウドファウンディングです
正直なところ
色々と不平不満の多い自分だが
正直なところ、なるようになってきたのではないかと思う
自分に正直に、思うままにの結果
子どものころを思い返してみる
自分は暗いキャラで、母親依存が強く、おとなしめの特定女の子としか遊ばず
男の子集団と一緒に遊ぼうものならいつも泣き帰ってきた
小学生になっても変わらず、休み時間は図書館に行き、入学したころから絵本や子供向け本ばかりを読んでいた
自分も書いてみたくなり、月に1、2作くらい書いてみては、親に見せ学校に持っていき皆に読んでもらうくらいがコミュニケーションだった
3,4年くらいから坊主頭にし活動的になったが、相変わらず図書室図書館は好きで、元気な男の子たちとは遊ぶが
どこか苦手で、ただ目立ちたがりなとこくらいが開花?変わっていった
その先はけっこう色んなとこで書いてきたので飛ばすが
高校になって進路に迷った時も、演劇を断念しライターに憧れていた
大学に行きたくないという思いがあり(進学校で皆が行き過ぎておかしいというのもあった)
高校3年くらいから東大のゼミなどにもぐった
結局ひきこもったが
色んなアルバイトもしてきたが、どれもまったく日々の時間を埋めるには満足せず
誰もやってない、マイノリティな層に空手を教えるのと、誰も書いてない現実を取材するライターになった
それ2つでは食えなかったけれど
それから10年ほどたち
今、さまざまなことを後悔してきた気もする
「高学歴行けたんだから、行っとけば食いっぱぐれることもなかったのでは」とか
「普通の人生で結婚して子どもがいる家庭で暮らすほうが、まわりからもへんな目で見られることもなく、落ち着けたんでないか」とか
ただ…
思い返してみると
「誰もやったことない仕事をしていくこと」しかしたくないし
「(自分の出した企画を書く)ライター以外で長く続いた(納得して「仕事」として受け入れられた)」ものもない
新聞社とかも考えたが、そもそも大学生活をうまく送れてない(行ってない)んだから、実質社員は無理だろう。
それにうらやましいのは、お金と取材のしやすさだけで、実質空手もできないし、まあ今さら考えたところでだ
ぶっちゃけ子どもも、欲しくない
もし「幸せな生活」を本当に思った時にも、「子ども」がイメージすることは今までにもずっと無く
大好きで気の合うパートナーと一緒にいれたら、といったほうがずっと現実的に望んでいたことだ
パートナーはいないが、これはまあ今はしょうがない。
そんなこんなで…、正直自分はこの現在しかなかったのではないだろうか。
最近なーんとなく思って、今日歩いている時ふと思った
私は変わっていると思う
昔からそうだった
友だちも多いほうじゃなかった
好きになる相手には一途だった
そして自分が納得したことでないと動けないし、続かなかった
自分の経験や感覚は、他の人に敷衍できない
それはよくわかっている
孤独でありたくなくて、つい迎合したり、本音を隠したりして次第に自分も騙してしまう部分が、自分にもある
けれど、自分は裏切れないのではないか
空手のきっかけ、試合のきっかけ
帰り道、ふと
空手のきっかけと試合に出るきっかけは違ったなと思い書いておきます
空手をはじめたのは、色んなとこで言ってきたように
ヒキから脱したかったからだし
外が怖かったからだし
逆に自分が誰かを害しそうと思っていたこともあります
で、師匠にすすめられて、というかんじですね
自分が殴り合いくらいできとかないとと思っていたこともあります
直接のきっかけは、2年くらいガチヒキっていたのに
友だちの出版記念イベントをやりたいと思って、動いて、とてもしゃべれなかったのでその前に…というかんじでイベントギリ前の入会したかんじです
ただ、はじめの半年ほどは基本クラスにばかり通って、スパーリングクラスに出たのは半年近くたって
それからもスパーリングクラスには週に一度くらい出よう
3年やるか、緑帯まではやろうとか思っていました(今17年目で二段です)
試合とかまったく考えていませんでした
自分ができると思わなかったし
殴り合いの練習が人よりできればいいなあくらいのかんじでしたね
格闘技じたい好きでもなかったですし(今もです…)
ただ、あることで酔っ払った元ボクサーの一回り以上年上の人を
何度も殴ってしまったんですね
相手は無抵抗状態で
結局相手はCT病院で、自分は
「相手がどれくらい傷ついているのかわからない」
というのが本当にまずい
と思ったんですね
自分の暴力がどれくらいで把握できてないということは、過剰に他人を傷つけます
それから、平日のスパークラスにも出て、黒帯ばかりで足腰立たないくらいに帰されて
半年くらい出て、試合でした(新人戦で準優勝でしたが両足が2倍くらい腫れ上がりました)
思えば、最初道場に入ろうと思ったのも
スパークラス見学して、女子の攻撃はブロックやカットしてはならず、受けて軽く返さなければいけない(顔以外)というのが「受けられるようになりたいな」と思ったのが決め手でした
自分の「力」の向け先に自信が無かったと思いますし、今でもそうです。
空手をはじめて2年くらいで、一時カウンセリングに通っていたのですが、数回してやめました。
空手で向かっていこう、という気持ちが弱くなって(自分を弱者一方認定しているからだと思います)やめたのですが
最後のカウンセリングで
「自分が大事に思う誰かを傷つけすぎたくないし、傷つけていることに知らないままでいたくない」
と答えたのをおぼえています
いまだに、自分は変わっていないとは思います
皆弱い
当事者たちの、弱者ぶって、自分さえよければという自分勝手な理解を一方的に求める
まるで子どもが親にダダをこねるような
ダサい、浅ましい心情をネットで見まくって
ウンザリして、イラついて
「どうして皆プライドや意地を持とうとしないんだ。大きなものに理解や制度の変更ばかりを求めて
だいたい発達なら発達、精神なら精神で特別扱いしろとは、新しい分断を呼ぶだけだろう
自分たちが、理解してほしい相手を理解しようとし、傷ついても胸襟を開く行動こそが、本当の包摂ではないか」
と思っていた。
だが、皆、自分が思うよりずっとずっと自信が無く、自己評価が低いのだ
とふと思うと、すべてのことに納得がいった。
皆、本当に弱い(と思いきっている/自分が強者の部分があるとはほとんど思えていない、そんな余裕はほぼ無い)
のだと。
それはとりも直さず、「相対的に」自分が意地と自尊心を大事にできるだけ
「強」く見えることでもあるのだとも思う。
少なくとも精神的には。
ここからどう進めるだろう。
少なくともイラつきは鎮まってゆくとして、ますます「独り」と思う具合は強くなるかもしれない。
そして
「許す」
というのは、ここからはじまるかもしれない(そうでないかもしれないけど)
とも思ったりする。
皆「弱」い。
おそらく、自分が今まで考え想像していたよりもずっと(彼ら自身を抑圧し否定し続けて自己評価が想像以上にマイナスすぎるという意味で)
"I will survive"のメロディに合わせて
忘れたと思っていた
私の中から消えたと思ってた
ずっとおそろしく
世界が怖く
居場所はないと思ってた
私は少しずつ
立ち止まっても転んでも進んでた
ある時にふと あなた無しでも
自分を 支えて暮らしてた
だけど ふと戻るの
「お前は一人じゃ生きてゆけない」と
風の吹く夜
疲れきった朝
夕陽と ともに忍び寄
だけど 生きてきたよ
一人で野たれ打ってつけた履歴
消えない足跡
忘れられぬ傷
暗いベールを剥がして思い出す
私は 生き残るよ
影の中には手を振る逝った人
傷つけた人
お礼言えなかった人
私の 履歴に刻み込む
また明日も…
https://youtube.com/watch?v=fCR0ep31-6U