正直なところ
色々と不平不満の多い自分だが
正直なところ、なるようになってきたのではないかと思う
自分に正直に、思うままにの結果
子どものころを思い返してみる
自分は暗いキャラで、母親依存が強く、おとなしめの特定女の子としか遊ばず
男の子集団と一緒に遊ぼうものならいつも泣き帰ってきた
小学生になっても変わらず、休み時間は図書館に行き、入学したころから絵本や子供向け本ばかりを読んでいた
自分も書いてみたくなり、月に1、2作くらい書いてみては、親に見せ学校に持っていき皆に読んでもらうくらいがコミュニケーションだった
3,4年くらいから坊主頭にし活動的になったが、相変わらず図書室図書館は好きで、元気な男の子たちとは遊ぶが
どこか苦手で、ただ目立ちたがりなとこくらいが開花?変わっていった
その先はけっこう色んなとこで書いてきたので飛ばすが
高校になって進路に迷った時も、演劇を断念しライターに憧れていた
大学に行きたくないという思いがあり(進学校で皆が行き過ぎておかしいというのもあった)
高校3年くらいから東大のゼミなどにもぐった
結局ひきこもったが
色んなアルバイトもしてきたが、どれもまったく日々の時間を埋めるには満足せず
誰もやってない、マイノリティな層に空手を教えるのと、誰も書いてない現実を取材するライターになった
それ2つでは食えなかったけれど
それから10年ほどたち
今、さまざまなことを後悔してきた気もする
「高学歴行けたんだから、行っとけば食いっぱぐれることもなかったのでは」とか
「普通の人生で結婚して子どもがいる家庭で暮らすほうが、まわりからもへんな目で見られることもなく、落ち着けたんでないか」とか
ただ…
思い返してみると
「誰もやったことない仕事をしていくこと」しかしたくないし
「(自分の出した企画を書く)ライター以外で長く続いた(納得して「仕事」として受け入れられた)」ものもない
新聞社とかも考えたが、そもそも大学生活をうまく送れてない(行ってない)んだから、実質社員は無理だろう。
それにうらやましいのは、お金と取材のしやすさだけで、実質空手もできないし、まあ今さら考えたところでだ
ぶっちゃけ子どもも、欲しくない
もし「幸せな生活」を本当に思った時にも、「子ども」がイメージすることは今までにもずっと無く
大好きで気の合うパートナーと一緒にいれたら、といったほうがずっと現実的に望んでいたことだ
パートナーはいないが、これはまあ今はしょうがない。
そんなこんなで…、正直自分はこの現在しかなかったのではないだろうか。
最近なーんとなく思って、今日歩いている時ふと思った
私は変わっていると思う
昔からそうだった
友だちも多いほうじゃなかった
好きになる相手には一途だった
そして自分が納得したことでないと動けないし、続かなかった
自分の経験や感覚は、他の人に敷衍できない
それはよくわかっている
孤独でありたくなくて、つい迎合したり、本音を隠したりして次第に自分も騙してしまう部分が、自分にもある
けれど、自分は裏切れないのではないか
空手のきっかけ、試合のきっかけ
帰り道、ふと
空手のきっかけと試合に出るきっかけは違ったなと思い書いておきます
空手をはじめたのは、色んなとこで言ってきたように
ヒキから脱したかったからだし
外が怖かったからだし
逆に自分が誰かを害しそうと思っていたこともあります
で、師匠にすすめられて、というかんじですね
自分が殴り合いくらいできとかないとと思っていたこともあります
直接のきっかけは、2年くらいガチヒキっていたのに
友だちの出版記念イベントをやりたいと思って、動いて、とてもしゃべれなかったのでその前に…というかんじでイベントギリ前の入会したかんじです
ただ、はじめの半年ほどは基本クラスにばかり通って、スパーリングクラスに出たのは半年近くたって
それからもスパーリングクラスには週に一度くらい出よう
3年やるか、緑帯まではやろうとか思っていました(今17年目で二段です)
試合とかまったく考えていませんでした
自分ができると思わなかったし
殴り合いの練習が人よりできればいいなあくらいのかんじでしたね
格闘技じたい好きでもなかったですし(今もです…)
ただ、あることで酔っ払った元ボクサーの一回り以上年上の人を
何度も殴ってしまったんですね
相手は無抵抗状態で
結局相手はCT病院で、自分は
「相手がどれくらい傷ついているのかわからない」
というのが本当にまずい
と思ったんですね
自分の暴力がどれくらいで把握できてないということは、過剰に他人を傷つけます
それから、平日のスパークラスにも出て、黒帯ばかりで足腰立たないくらいに帰されて
半年くらい出て、試合でした(新人戦で準優勝でしたが両足が2倍くらい腫れ上がりました)
思えば、最初道場に入ろうと思ったのも
スパークラス見学して、女子の攻撃はブロックやカットしてはならず、受けて軽く返さなければいけない(顔以外)というのが「受けられるようになりたいな」と思ったのが決め手でした
自分の「力」の向け先に自信が無かったと思いますし、今でもそうです。
空手をはじめて2年くらいで、一時カウンセリングに通っていたのですが、数回してやめました。
空手で向かっていこう、という気持ちが弱くなって(自分を弱者一方認定しているからだと思います)やめたのですが
最後のカウンセリングで
「自分が大事に思う誰かを傷つけすぎたくないし、傷つけていることに知らないままでいたくない」
と答えたのをおぼえています
いまだに、自分は変わっていないとは思います
皆弱い
当事者たちの、弱者ぶって、自分さえよければという自分勝手な理解を一方的に求める
まるで子どもが親にダダをこねるような
ダサい、浅ましい心情をネットで見まくって
ウンザリして、イラついて
「どうして皆プライドや意地を持とうとしないんだ。大きなものに理解や制度の変更ばかりを求めて
だいたい発達なら発達、精神なら精神で特別扱いしろとは、新しい分断を呼ぶだけだろう
自分たちが、理解してほしい相手を理解しようとし、傷ついても胸襟を開く行動こそが、本当の包摂ではないか」
と思っていた。
だが、皆、自分が思うよりずっとずっと自信が無く、自己評価が低いのだ
とふと思うと、すべてのことに納得がいった。
皆、本当に弱い(と思いきっている/自分が強者の部分があるとはほとんど思えていない、そんな余裕はほぼ無い)
のだと。
それはとりも直さず、「相対的に」自分が意地と自尊心を大事にできるだけ
「強」く見えることでもあるのだとも思う。
少なくとも精神的には。
ここからどう進めるだろう。
少なくともイラつきは鎮まってゆくとして、ますます「独り」と思う具合は強くなるかもしれない。
そして
「許す」
というのは、ここからはじまるかもしれない(そうでないかもしれないけど)
とも思ったりする。
皆「弱」い。
おそらく、自分が今まで考え想像していたよりもずっと(彼ら自身を抑圧し否定し続けて自己評価が想像以上にマイナスすぎるという意味で)
"I will survive"のメロディに合わせて
忘れたと思っていた
私の中から消えたと思ってた
ずっとおそろしく
世界が怖く
居場所はないと思ってた
私は少しずつ
立ち止まっても転んでも進んでた
ある時にふと あなた無しでも
自分を 支えて暮らしてた
だけど ふと戻るの
「お前は一人じゃ生きてゆけない」と
風の吹く夜
疲れきった朝
夕陽と ともに忍び寄
だけど 生きてきたよ
一人で野たれ打ってつけた履歴
消えない足跡
忘れられぬ傷
暗いベールを剥がして思い出す
私は 生き残るよ
影の中には手を振る逝った人
傷つけた人
お礼言えなかった人
私の 履歴に刻み込む
また明日も…
https://youtube.com/watch?v=fCR0ep31-6U