私が完全に親を捨てて

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私が完全に親を捨てて、もう10年以上になるけれど

勢いだけで来てしまった

 

「世間に逆らう」とはそういうこと

 

私はひきこもりで何の学習や訓練された経験もなく

ただやみくもにそのまま荒野へ出た

 

生きることに精一杯の日々が続き

やがて向き合いたくない現実から逃避に精一杯となる日々が続いた

 

私は何もできない

ただ楔を外しただけ

ただ家出人のまま、定居も定めず人生の折り返しがこようとしている

 

誰が死んでも帰らない

私が私でいられなくなる

選んだ不自由

だけど

今日スーパーで買い物をしていて

ふと「今突然母親が死んだという通知が入ったら」(実際にはもう死んでるかもしれないし知らない)

という想像が頭をかけめぐり

「私はとんでもないことをしてきたのではないか」

と、ありえないほど自分を責める気持ちでいっぱいになった

 

その日の暮らしもままならず

ただ疲れ果てる日々で

未来も見れない

 

私は「正解」だったのか?

 

 

世間の多くの人の声が風のように身体を通り抜ける

「お前は間違っているから、今このザマなのだ」

「この10年間はあっても無くても、ただ遊びのような日々」

「あの日から、まったく成長していない」

 

 

「親」とは世間を代表するもの

多数が感じるものが正しく

反逆者や離脱者のロクな道は無い

 

今私は

自分で希望を作り見据え、向かっていかなければならない

親の元にもう帰らないことでもなく

ただ死なずに生きのびることでもなく

 

なんて難しいんだろう

 

この先を自分として生きること

 

人生で一度足りとも

考えたことが無い

私は強くもすごくもない

私は強くもすごくもない
だからそんなふうに言わないでほしい
ありのままの自分を見てほしい
ダメなところは、その数倍あるのだ

 

ほめたからといって それがプレッシャーになってしまう
私に余計な荷物を抱えさせないでほしい

 

私は、色々な面があるただの人なのだ
あなた方も、自己評価が低すぎると思うよ

 


こわいんだ
失敗するのが
「なんだそんなこともできなかったのか」
と思われることが

 

すごくなくては愛されない
相手にしてもらえない
私を嫌わないでほしい
ありのままであっても

 

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皆弱い

当事者たちの、弱者ぶって、自分さえよければという自分勝手な理解を一方的に求める

まるで子どもが親にダダをこねるような

ダサい、浅ましい心情をネットで見まくって

ウンザリして、イラついて

「どうして皆プライドや意地を持とうとしないんだ。大きなものに理解や制度の変更ばかりを求めて

だいたい発達なら発達、精神なら精神で特別扱いしろとは、新しい分断を呼ぶだけだろう

自分たちが、理解してほしい相手を理解しようとし、傷ついても胸襟を開く行動こそが、本当の包摂ではないか」

と思っていた。

 

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だが、皆、自分が思うよりずっとずっと自信が無く、自己評価が低いのだ

とふと思うと、すべてのことに納得がいった。

 

皆、本当に弱い(と思いきっている/自分が強者の部分があるとはほとんど思えていない、そんな余裕はほぼ無い)

のだと。

それはとりも直さず、「相対的に」自分が意地と自尊心を大事にできるだけ

「強」く見えることでもあるのだとも思う。

少なくとも精神的には。

 

ここからどう進めるだろう。

少なくともイラつきは鎮まってゆくとして、ますます「独り」と思う具合は強くなるかもしれない。

 

そして

「許す」

というのは、ここからはじまるかもしれない(そうでないかもしれないけど)

とも思ったりする。

 

皆「弱」い。

おそらく、自分が今まで考え想像していたよりもずっと(彼ら自身を抑圧し否定し続けて自己評価が想像以上にマイナスすぎるという意味で)

"I will survive"のメロディに合わせて

‪忘れたと思っていた‬
‪私の中から消えたと思ってた‬
‪ずっとおそろしく‬
‪世界が怖く‬
‪居場所はないと思ってた‬

 

‪私は少しずつ‬
‪立ち止まっても転んでも進んでた‬
‪ある時にふと あなた無しでも‬
‪自分を 支えて暮らしてた‬

 

‪だけど ふと戻るの‬
‪「お前は一人じゃ生きてゆけない」と‬
‪風の吹く夜‬
‪疲れきった朝‬
‪夕陽と ともに忍び寄‬

 

‪だけど 生きてきたよ‬
‪一人で野たれ打ってつけた履歴‬
‪消えない足跡‬
‪忘れられぬ傷‬
‪暗いベールを剥がして思い出す‬

 

‪私は 生き残るよ‬
‪影の中には手を振る逝った人‬
‪傷つけた人‬
‪お礼言えなかった人‬
‪私の 履歴に刻み込む‬

 

‪また明日も…‬

 

https://youtube.com/watch?v=fCR0ep31-6U

 

 

自動機械

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毎日が自動機械化してゆくと、現実味を失ってゆく

 

子どものころ、私はぼーっとしていて他の人よりも世界をつかむのが遅れていた

ただし、疲れることもあまりなかった

世界は、一枚ガラスを通した、手の届かない風景のように見えた

皆触れ溶けこめているように見えた

絵画のように

 

私は、ひきこもって、格闘技をはじめて

はじめて現実を手に入れた

見えるようになった

世界の中で、生きられるようになった

触れられるようになった

他の人たちは、自分と同じ人間だった

 

けれど、極度に疲れやすくなった

ささいなことで、ひとたび出かけることで、疲れきり寝込むようになった

 

世界の中で自分が生きること

 

再び、生きるために

生きて成すために自動機械化した

自分では望んでないままに

気がつくと、景色が風景になっている

人も車も

けど次のスケジュールをこなさなくてはならない

止めようもなく、視界が、聴覚が絵画に映像になってゆく

 

ヒリヒリと、世界は痛む

私は自分の感覚を取り戻す

世界にたった一人いる皮膚感覚

毎日がなまなましく残酷にゆっくりそして早く進む

 

だがそれでは生きられないのだ

 

ADHDcocoach最終回まとめ

2カ月超にわたって行ってきた

twitter.comの最終回まとめについて書きます。

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愛憎を取り戻す旅

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この講義に、コミュニタリアン(共同体主義者)の依って立つ選択根拠は、愛国(大きなコミュニティ)よりむしろより小さな近しいコミュニティだという場面が出てくる

 

ハーバード白熱教室(日本語版)「第11回 愛国心と正義」(02 of 02) by ニココ動画(nicoco20) 政治/動画 - ニコニコ動画

 

何度も停止ボタンを押して、自分ならどうであるかを考えた

 

私は、10年以上前から元家族と完全に縁を切っており
二度と戻るつもりは無い

 

私は、私の家族と離れないと
世界を彼らに対する気持ちと同じように
憎しみや怯えによって向かい合ってしまうからだ

 

私は世界を愛したいからこそ
最終的に家族を「愛して(憎しんで/とらわれて)」しまう感情を、家族そのものと切り離した

 

私が仕送りでひきこもっていたワンルームを出て、携帯を替え銀行のカードを折り、家族がまったく知らないゲストハウスへ引っ越したのは
子どもたちを指導することになったからだ
そのままでは一人の大事なことを教える人として彼らの前に立てない気がした

 

当時は逃げ道を持たず向かい合うため、のように思っていた
今思えば
家族への思いの延長を引きずったまま人間の前に立てば、彼らを人として見れない
誰も愛せない、と感じたからのように思う

 

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白熱教室はこのあたり(ロールズの正義論に入るあたり)が、日本の若いマイノリティも関心を持ちやすいおすすめかも、と個人的には思います

ハーバード白熱教室(日本語版)「第05回 お金で買えないもの」(01 of 02) by ニココ動画(nicoco20) 政治/動画 - ニコニコ動画