NO FUTURE FOR FUTURE

NO FUTURE,FOR FUTURE.メンタルや身体が不調でも、ほんの少しだけ明るくなれるようなことたち

噂の『1分格闘技(Breaking Down)』からの”卒業”

 Breaking Down(ブレイキングダウン)が話題になっている。さすがにYouTube同時接続者数40万人は、社会現象と言えるのではないかとは思う。

 ブレイキングダウンとは、日本最大の格闘技フェデレーション『RIZIN』で活躍する朝倉未来氏が考案した”1分1R”の「路上の喧嘩に近づけた」格闘技イベントだ。
 当初はアマチュア異種格闘技戦とも言えるカードが多く並んだが、回を追うごとに”ヤンキー・テラスハウス”とも言うべき、陽キャのヤンキーや半アウトロー(キャラ)たちが、承認欲求やYoutube登竜門、知名度アップなどのためにオーディションに出演するYouTubeバラエティ格闘技番組となった。

 レベルは初級から中級の新人戦レベルで、1分間という時間制限や大振り・ノーディフェンスぶりから、ある種見ごたえのあるものではあると思う(技術面からは、一部以外はほぼ参考になるものではない)。

 当初は、朝倉未来氏らしい思い付きだなと思うも、出場者のレベルの低さにほぼ無視していたが、第4回あたりからメディア的に無視できない規模になってきた。
 次に思ったのは、「子ども(うちの生徒)が見たら嫌だなあ」というものだった。けれど、それもこのYouTube時代に今更だし、そもそも朝倉氏が「vs喧嘩自慢」シリーズをコロナ前あたりからはじめバズりまくっていたので、まあ今更だとは思う。
 あと、高校生あたりの生徒も知っている子はいても、”憧れる”者はほぼいない。(どちらかというと笑いながら見ている感じが強い)

 思ったことは、先日の同接40万の「5.5」大会を事情で見ることになったのだが、出ている面々が、自分にある人たちを思い出させたのだ。

 自分は5年かそれ以上、あるイリーガルなものを含む依存からの更生施設に、毎週空手を教えに行っていたことがあった。
 指のない人も全身タトゥーの人も、塀から出てきたばかりの人も多かった。そして、知的障害者に近い元アウトローたちもいた。
 彼らは、攻撃欲求の行き場に悩んでいて、承認欲求は高く、目立ちたがり屋で、自分より強い力には弱かった。

 彼らの一部には時々ガチのスパーリングをやらせたり、自分に全力で向かってこさせたりを何度もしていた。
 気持ちよさそうで、楽しそうだったからだ。
 そして終わった後、一時的ではあるが、吹っ切れたような笑顔をしていたからだ。

 5.5大会のメインは、10人と戦って勝ったという虚言を吐き、実際には体幹も弱いヘタレで、しかしそれがある種愛されキャラとしていじられながらも有名になっていた人だった。
 そのメインでも、頑張りながらも笑われていたが、彼の姿も、アンダーカードで調子こいていた何人の人も、自分が教えていた”不適合者””先の見えない人たち”を思い出させた。

 実際には、そんなこともないのかもしれない。
 オーディションがどんな形で行われているのか、実際にはわからないが、少なくとも多数の人に魅せることが出来、人気を獲得できるなら、ヤンキーらの中でも上位だとは思う。
 コミュニケーション能力においても。
 だが彼ら(のような人ら)が、YouTubeなどで朝倉未来らに目をかけられていなければ、代替にどんなことをしていたかは、誰にもわからない。

 若者たちからの”人気”とは裏腹に、格闘技好きや、分別ある大人たちの一部からは批判的な声も聞こえる”興行”ではある。
 だが朝倉氏自身がアウトサイダーに出て裏の世界へ行くことがなくなったように、今どきのYouTubeやABEMAという形で、出演した数人でも”違う道を見つけた”のかもしれないとも思う。

 もちろん全員がそうではないだろうし、そんなピュアな見込みの者はほぼいないかもしれない。
 けれど「ブレイキングダウンに出てみようかな」という思いが、アウトロー行為ややみくもに人を傷つける行為から少しでも離れる機会になる人が、視聴者の中にもいるかもしれない。

 そんなことを思っていた。
 朝倉氏自身は、そこまでウェットな感情は持っていないだろう(実際に有名になる前に、少しだけ聞かせてもらったことがあるが、”何かを与えたい”的な姿勢は無いと言っており、少なくとも表には出さないのだとは思う)が、以前もヤンキーテラスハウス的な構想を話していたこともあり、”更生”というお題目的なことでなくても、エンターテインメント的に、楽しくかつビジネスの勝ち目を絡ませて、やんちゃたちと一緒に何かをしていこうという気はあるとは思う。

 この先どうなるかはわからないが、自分は今のところアリだとは思う。

 しかしテラスハウスに”終わり”があるように、ブレダウにも”卒業”はあるとは思う。
 その卒業の一つが、願わくば街の格闘技ジムや道場に行き、選手として修羅の道を上がっていきたいと思うようなものであってほしいとは思う。
 おまえらが憧れる”ミクルのアニキ”がそうであったように。